今日の朝日新聞「耕論」欄で、倉橋耕平とかいう男が『ゴーマニズム宣言』を名指しで批判しています。
倉橋は今年『歴史修正主義とサブカルチャー』という本を出し、その中で1章まるまるゴー宣の批判を書いたことから、いま左翼村の中では引っ張りだこで、ついに朝日新聞にまで登場したというわけです。
中島岳志の時もそうでしたが、どうしてもゴー宣を潰せなくて欲求不満を抱えている左翼は、ゴー宣に食ってかかる若手が出てくると、それがどんなバカでも寄ってたかってチヤホヤするのが常で、今回もその典型的パターンです。
何しろ、倉橋のゴー宣批判は全く的外れの誹謗中傷、デマとしか言いようのないものなのです。
慰安婦問題の時、『ゴー宣』は「読者参加型」で議論を展開した。
そこには歴史の「専門家」はおらず、「真実」よりも「主観」が優先された…
というのが、倉橋の主張です。
ふざけているにも、ほどがあります。
『ゴー宣』は「読者参加型」で議論をしたから、「多数決」で慰安婦問題の結論を出したとでも思っているのでしょうか?
だとしたら倉橋は、一切『ゴー宣』を読み取れていない、とことんバカです。
よしりん先生自身は、結論を主観ではなく「史料検証」によって出しています。
読者からはよしりん先生の意見に対して猛烈な反対意見も来ており、よしりん先生はそれに反論して議論を進めています。
この人は、そんなことも読み取れないのでしょうか?
そもそも、「読者参加型」で「専門家」がいないとか批判しているこの倉橋耕平なる人物は、どこの何者で、何の専門家で、どういう実績があるんですか?
プロフィール見たら、「立命館大学などで、非常勤講師」
非常勤講師って、単なるアルバイトみたいなもんじゃないですか!!
ただの36歳フリーターが、たまたま1冊本出して「社会学者」を自称しているだけじゃないですか!?
『ゴー宣』で何を書いているのかも読み取れない自称社会学者が、『ゴー宣』は「読者参加型」で、ポピュリズムの産物だから、真実を語っていないとかいう、短絡的でバカ丸出しのレッテル貼りをして批判している気になって、それを朝日新聞までが使うのだから、ふざけるのもいい加減にしろと言いたい。
倉橋の著書も読みましたが、『ゴー宣』が「読者参加型」という「手法」だから成功したというような、陳腐な「分析」に終始していました。
だったら、誰でもその「手法」でやってみればいい。
こいつは「作家性」というものを一切理解できないのです。
小林よしのりの作家性をナメるんじゃない!!
さて、こうして『ゴー宣』は「ポピュリズム」の産物だとデマを飛ばした倉橋は、「新潮45」の騒動にからめ、結論としてこう書いています。
〈こうした媒体は買わない、アクセスしない、執筆しない、広告を出さない。今回の騒動は、「不買運動」も有効な手立てであることを教えてくれました。〉
「不買運動」って、「ポピュリズム」そのものじゃないですか!
「専門家」による議論もなく、煽動された大衆の熱狂で問答無用で潰してしまえというのが、「不買運動」じゃないですか!
倉橋は一方で「ポピュリズム批判」をしておきながら、結論でそのポピュリズムを煽りまくっているのです。
そこに何の矛盾も感じないって、どこまでバカなんですか?
こんなもん、よく恥ずかしくもなく載せられますね、朝日新聞。